パシフィコ横浜にてダライ・ラマ14世の法話が行われました。
法話は縁起賛と発菩提心についてという内容でした。
私なりの解釈ですが、
「全てのものは互いに依存し合って存在しているため、
まず、他者を助ける、そのことで他者が幸せになり、
さらに自分も幸せになるという利他心こそが大切である。」
というのが法話の主眼だったように思います。
チベット仏教や仏教の教えに造詣の深くない私なりに
法話のポイントを箇条書きにしておきます。
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無明(むみょう)とは無知のことであり、
即ち、苦しみの因を知らずどんどん新たな苦しみを作り出すこと。
だから望んでいるのに幸せを得られずにいる。
無明(無知)には2種類ある
1)因果の報を正しく理解していない
2)究極的なものの有り様を理解していない
世の中はみなすべて、他のもの(他者)に依存している
即ち、
独立した哀しみそのもの、幸せそのものは存在しない。
縁起とは
1)結果は原因に依存しているという因果の報
2)全てのものは他のものに依存している
即ち、幸せになれるようにと祈るだけでは幸せになれない。
縁起の教えを理解すると苦しみの因を捨てることが出来る。
因は結果に依存し、また結果は因に依存する。
結果に依存して、因が因として存在するのである。
全体は部分に、また、部分も全体に依存する。
悟りとは智慧の完成、
即ち、究極の利他心(りたしん)のよって支えられた菩提心
世俗的な苦しみは現存するが、究極的な意味では
実体を持った苦しみそのものというのは存在しない。
幸せとは、
まず他者を助ける→他者が幸せな気持ちになる→自分自身が幸せになる
というようなものである。
それが即ち、利他心である
究極の利他心は無限の利他心であり、
大いなる慈悲の心が菩提心である。
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