日々の暮らしの中にあるアートを見つけてゆきます

2010年6月27日日曜日

ダライ・ラマ法王 in 横浜 - 第一部法話 /His Holiness the Dalai Lama's Public teaching

 6/26(土)10:00〜12:00
パシフィコ横浜にてダライ・ラマ14世の法話が行われました。

法話は縁起賛と発菩提心についてという内容でした。


私なりの解釈ですが、
「全てのものは互いに依存し合って存在しているため、
 まず、他者を助ける、そのことで他者が幸せになり、
 さらに自分も幸せになるという利他心こそが大切である。」
というのが法話の主眼だったように思います。




チベット仏教や仏教の教えに造詣の深くない私なりに
法話のポイントを箇条書きにしておきます。

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無明(むみょう)とは無知のことであり、
即ち、苦しみの因を知らずどんどん新たな苦しみを作り出すこと。
だから望んでいるのに幸せを得られずにいる。

無明(無知)には2種類ある
1)因果の報を正しく理解していない
2)究極的なものの有り様を理解していない

世の中はみなすべて、他のもの(他者)に依存している
即ち、
独立した哀しみそのもの、幸せそのものは存在しない。

縁起とは
1)結果は原因に依存しているという因果の報
2)全てのものは他のものに依存している

即ち、幸せになれるようにと祈るだけでは幸せになれない。
縁起の教えを理解すると苦しみの因を捨てることが出来る。

因は結果に依存し、また結果は因に依存する。
結果に依存して、因が因として存在するのである。

全体は部分に、また、部分も全体に依存する。

悟りとは智慧の完成、
即ち、究極の利他心(りたしん)のよって支えられた菩提心

世俗的な苦しみは現存するが、究極的な意味では
実体を持った苦しみそのものというのは存在しない。

幸せとは、
まず他者を助ける→他者が幸せな気持ちになる→自分自身が幸せになる
というようなものである。
それが即ち、利他心である

究極の利他心は無限の利他心であり、
大いなる慈悲の心が菩提心である。

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自己紹介

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Yokohama, Japan
まいにちの普通の暮らしの中に アートがいっぱいあるとおもう。 子どもの描く絵だったり、 空や樹々、花がきれいだったり。 ありがとうの言葉と心を大切に、 日常を大切にして楽しんでゆきたいな。 まいにちの暮らしの中でみんなが笑顔になるといいな。 I think our daliy life is full of Art. Hope everyone will be smiling and happy everyday! My favorite words are " Thank you ".